初版 ぼく語辞典

夜が幻想郷だった頃。

f:id:ABBshu:20180531072120j:plain

【私的ラトビア100景】ラトビアン・スカイ・カンヴァス(威風)

部屋から見える今日の夕暮れは、なかなかドラマチックだった。
雲が燃えるように焼けている。
空はさながら劇場だ。観客席にいるぼくは、舞台の壮大さに圧倒されている。

 

f:id:ABBshu:20180531072128j:plain

1日の最期が、迫り来る夜のとばりに逆らうように、西の空で燃えている。
断末魔をあげるように。清々しく力を振り絞るように。


黄昏時は、空が宇宙へと移り変わる時間。
いつも視界と共にある身近な空が、実は途方もなく広い宇宙の一部であることを認識させる時間。
現実的にも関わらず、妖しい魅力にも満ちた時間。

「現実的」といえば、そういえば。
昔、眠らなければ夜は明けないと考えていたことを思い出す。
眠ることと、朝が来ることとの間には、因果関係があると信じていた。

 

ところが実際は、ぼくが寝ようが起きていようが、そんなことに構うことなく、地球は回っていくらしい。朝日は昇ってくる。夜のとばりもおりてくる。夢も何もあったもんじゃない。

 

初めて一晩中眠ることなく、朝を迎えたのは大学に入学してすぐの頃。
出会ったばかりの友人らと、こたつの中でぬくぬくと話をしながら夜を越した。


高校生までのぼくは、夜11時頃には布団に入り、翌朝6時半ころには目覚めるような規則正しい生活を送っていた(部活動や受験勉強もあって、必然的にそうなった面もあるが)。

0時をまわって日付が変われば、もはや未知の時間帯だ。
1時、2時、3時、4時………だんだん、外が明るくなってくる。
そして夜が明ける。

 

あ~あー。

ある不思議な興奮と減滅が同時にやってきた。
興奮は、初めての体験特有の新鮮さに対する高揚感。
減滅は、幻想が実証によって完全にしぼみ消滅したことに対する、萎えた感情。

現世と黄泉国が地続きのように、現実から連続的なファンタジーの世界としての夜は、簡単にその正体を暴かれてしまった。

 

それからは、高校の頃とは違い、夜更かしもしばしばするようになった。
このリガでもそう。
夜は、子供の頃の意味では、もはや幻想的なものではないかもしれない。

 

f:id:ABBshu:20180601030549j:plain

f:id:ABBshu:20180601030552j:plain

リガ旧市街付近の石橋の上から、東の空を眺める。

f:id:ABBshu:20180601030609j:plain

そして、相変わらず朝はやって来る。
今度は、夜のとばりを押し上げるように。

朝の街は、静かだ。
まだ誰もが眠っている。通勤時間3時間前。
クラブも、パーティーも、終わった頃合い。

 

まだ誰も眠りの中にいる時間。だからだろうか、朝の世界は目覚めているぼくらに、いつもよりも多くの優しさを振りまいてくれている。

静かな朝の景色と音と匂い。

何かがはじまるメタファー。


なるほど。
未知ゆえの幻想の時は去ってしまった。
代わりに、ありのままあるがままを幻想的に彩るべき時にやってきたようだ。


眠れない夜の、文脈なきつれづれ回想話。
では、Ata!