撮るには撮ったものの、どこにも載せずお蔵入りした写真がある。
ブログに載せようにも、Instagramにアップしようにも、それ単体ではストーリーを編めるほどの力を持たぬものたち。
それでもせっかく撮ったのだし、ただのデータとしてPCの中で腐らせてしまうのも、なんだか勿体ない。そんなわけで今回、些細な取るに足らない風景を、改めて集めてみた。
音楽のB面集を聴くような感覚で、ゆるゆるとお楽しみください。
自衛団?楽隊?いずれにしても愉快。
地図を持たぬ散歩では、こういう出会いが時々あるからなかなかやめられない。
彼にできることは、ここで祈ることだけ。
ある日は雨乞い、ある日は祖国の恋人の無事、ある日は半永久的な自身の生涯を呪う。
その日の天気や季節で、表情も変わって見えてくる。
雨の日の、ラトビア大学・人類学棟の1階。
傘立てというものがなく、みな入り口に傘を開いて置いていく。
新鮮な空からの水を浴びて、花々が彩り豊かに静かに咲き誇っている。
リガ市内にある公園にて。
アヒルたちのもう半身は、どこの次元に消えたのか?
不在が却って、何もない空間の存在感をありありと際立たせる妙。
夕暮れ時の西の空が綺麗だなあと思いながら目線を下ろすと、
夜の闇の侵攻が、既にこっそりと始まっていた。
北欧の秋は短い。11月上旬にはもう葉っぱは大方落ちてしまい、冬の気配が日に日に強まる。
冬の暴威前線に抗うように、儚く小さな紅葉がひっそりと生き残っている。
突然の濃霧。30mも離れると何も見えなくなってしまう。
この深い霧を抜けると、いつの間にか見知らぬ土地に……という誰でも妄想できるような展開を頭の中で期待するが、不幸にも橋を越えると無事に目的地の図書館についてしまった。道のりが、目的地にもまさって重要になる日がしばしばある。
誰しもみな幼少期がある。気になるあの子にも、ふてぶてしいおっさんにも、昔はあったんだ。そこに居るだけで愛でられるような、可愛いらしかった時代が。
しかしそれも永遠とは続かない。いつかは誰もが成長する。必ずしも可愛いままではいられない。それはピカチュウだってそうなのだ。今はサトシの肩に乗っているが、いつかは彼も自立しなくてはならない。多分。
何を強調するでもないが、ベンチを構成するラインが長々と伸びている。
欧州各国各町に必ずあるもの。ポスト、標識、トイレのピクトグラム……そしてベンチ。比べて見てみるのも面白い。
猫も一軒家を構える時代だ。
キッチンなし、シャワーなし、トイレなし、ただし家賃は0€。
部屋を探している猫がいれば、ぜひ教えてあげよう。
果たしてどこからやって来たのか。林の中に、コンクリートの小さな柱が2本。
もともとここに何か設備があったのか。どうしてこの2つだけが取り残されたのか。周りを自然に囲まれて、寂しくなかろうか無機物たち。1本だけでなくて良かった。寄り添っていれば、少しくらいの寂しさも紛らわせられるだろう。
「一番首獲ったぞー!」
高々と掲げられる首。その表情は何を意味しているのか。
「イロイロあったが、まァ、悪くない人生だったんじゃねェの?」
彼が最後にそう達観して、諦めゆえの満足とともに昇天したことを願う。