初版 ぼく語辞典

【読書感想文】読書について (光文社古典新訳文庫)

Labdien~

さてさて。
ぼくの今回の留学の目標の1つに、「100冊読書」がありまして。
しかし、ただひたすらに文字を目で追って読むだけでは、本当に真の理解を得ているとは言い難い。

せっかくお金を払って、先人の知恵や思考に触れているわけなので、そこから出来る限り得られるものは得たい。コストパフォーマンスは、可能な限り高めたい。

そんなわけで読書の記録も、ぼちぼち書いていこうと思います。
その第1回目の本は、タイトルその通りの1冊。
A・ショーペンハウアー著『読書について』です! 

こちらは、19世紀ドイツの哲学者による評論。そのタイトル通り”読書”について書かれたものです。

読書とは、どんな行為なのか、どんな姿勢で挑むべきなのか、また読書をする側の大衆は現在どんな状態にあるのか、などについて鋭い視点と語り口によってがんがんと、すっぱりと批判していきます。


その内容は、150年ほど前に書かれたとは言え、現代でも十分に通じるもの。

‟本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。”
 
この一文は本の冒頭『自分の頭で考える』の中の一節です。
 
また後半・『読書について』でも、
 
‟読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。”
‟食事を口に運んでも、消化してはじめて栄養になるのと同じように、本を読んでも、自分の血となり肉となることができるのは、反芻し、じっくり考えたことだけだ。”


と同じ内容が繰り返され、これが『読書』について考える時の前提となっています。

この前提のもと、多読は薦められません。他人の頭での考え方に慣れすぎると、自分の頭で考える力が衰えてしまうからです。
 
これは日々、情報を浴び続けている僕たち現代人にとって、読書以外にも当てはまることでしょう。インターネットやSNSの情報にしても、街中の広告にしても、裏には必ず誰かの思惑が内在しています。
 
 結局、良い読書をするためにはどうすれば良いのか。
①自らの思考体系をもつこと
②良書=古典を読むこと
 
著者は、良書はつまるところ『古典』であると言います。
 
‟昔の偉大な人物についてあれこれ論じた本がたくさん出ている。一般読者はこうした本なら読むけれども、偉大な人物自身が書いた著作は読まない。新刊書、刷り上がったばかりの本ばかり読もうとする。それは『類は友を呼ぶ』と諺にもあるように、偉大なる人物の思想より、今日の浅薄な脳みその人間が繰り出す底の浅い退屈なおしゃべりのほうが、読者と似た者同士で居心地が良いからだ。”
 
逆に言えば、『良書』を読んで自分なりに考えることで、『偉大な人物』たちの類の側になることも可能です。
 
とはいえ、いきなり読むにはハードルが高すぎるような本があるのは確かです。
その場合は、解説書等をあくまで手段として利用するのはありかと思います。
その際には、その著者の考えがどれだけ混ざっているか気を付けて読む必要があります。原著の解釈の仕方には、特に注意する必要があるでしょう(と語るぼく自身の文章も、「~でしょう」「~と思います」という、ぼくの考えや思い込みが多分に反映されているわけですが)。
 
僕が今こうして書いた文章にも、誰かの影響は確実に入ってきていることでしょう。
少なくとも今回これを読んだことで、ショーペンハウアーの思考の一部は僕の中に入ってしまいました。
 
何かの影響を受けてしまうことは、社会を生きる人間としては、避けようのないことです。
が、それを自覚できないと、いずれ『自分』を見失ってしまいかねません。
自分の中に流入してくる影響を、自身の思考の肥料とできるように、常に情報に対しては批判的な姿勢が必要なのだと思います。
 
では、Ata!