初版 ぼく語辞典

自己紹介~「あべべ」ってこんな人。

Labdien~
どもどもあべべです。
 
17記事くらい今まで書いてきて気づいたんですが、そういえばまだ「僕が誰か」を紹介していませんでしたね。
 
『マイ・プライベート・ラトビア』って誰のプライベートやねん!
という怒りと戸惑いの声が聞こえてくるので、ここで1つ・自己紹介記事です。

 

プチ自己紹介

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というわけで、あべべです。
あべべ、っていうニックネームは僕の苗字に由来しています。今の首相と漢字違いの苗字です。スーパーシンプル!
 
プロフィール写真は、「a(あ)b(べ)b(べ)」ってことです。
撮影地が神戸ということに関しては、特に関係がありません。
 
96年生まれの現在大学3年生。
生まれも育ちも青森県
大学入学を期に茨城県へお引越し。
そして今は茨城も離れて、ラトビア共和国の首都・リガに1年間の交換留学中です。
 
Mr.ChildrenYUKIスピッツが大好き。
太宰治も大好きです。最近若山牧水にも魅かれてきています。
あと、納豆も大好きです。
 
あれ、自己紹介って案外難しいぞ?
それじゃあ、ブログに絡めて、ラトビアへの留学理由について書いてみまっしょい!

なんでラトビアに留学してるの?

小学校で日露戦争を学んだ頃からロシアという国にすごく興味があったんです。特に政治面に関してね。
なので、ロシアか、地理的に近い旧ソ連のどこかの国に留学しようと考えていました。特にラトビア旧ソ連であり、その時代の名残もまだ多くあります。またEU圏内ということで、他の国々への移動も容易とあって、行かない理由がありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

というのはね、

ウソです。
ごめんなさい。

 

取り立てて特別な理由は、正直ありません。
僕は目的意識をもって動くことが、すごく苦手な人間なんです。

 

留学は大学に入る前から漠然としたいなあ、とは思っていたけどね。 
初めはモロッコに行くつもりだったんです。入ろうと思っていた大学のゼミから、そこへ留学しようと思って。でも、結局そのゼミには入りませんでした。

そうなると、後先考えずに行動しがちな僕は、次のカードを持っていない。さあ困ったぞ、どうしよう。
すでに大学2年の12月。
3年の夏・秋から留学するとなると、さすがに目的地を決めておかないといけません。

 

どうしてそんな焦るようにしてまで、留学をしたかったのか?
とにかく僕は一度日本を離れたかった。
自分の知っている世界が狭すぎるということだけは、何となく知っていたから。


日本国内でだって、できることはたくさんあるけれど。
それでも、外に出てみたかった。色んな事を知りたいという漠然としたものもあったし、その逆に日本にいては見つけられないような、「分からないこと」も同時に増やしたかった。

 

最後の贅沢で僕が望んだ条件は、

  • 日本人の少ない地域。どうせ意思の弱い僕だから、日本人があんまりいると、日本にいる時の同じような環境に浸ってしまう。
  • 同じ大学から行く人がいない場所、もしくは友人が0のところ。せっかく1年離れるんだから、似たような環境で育った人がいない場所がいい。空間的に離れるだけで無く、コミュニティ的に離れたい。
  • ヨーロッパのどこか。移動がし易いからね。比較的小さな国も多いので、様々な文化を気軽に見に行けるところが魅力的だった。

最終的に残った選択肢はバルト三国。うちエストニアリトアニアには僕の大学から行く人がいるという。それならもう行き先は1つしかない。 

こうして僕はラトビア共和国への留学を決定したのでした。

 

まあだから、全く積極的な理由じゃありません。
結果的にここでの生活は楽しめてるので良いのですが、それでもちょっとスパイスを加えたくなって、ブログを書き始めました。

 

以下、僕の遍歴もちょろっと書きましたが、割と長いので飛ばしても大丈夫です。(笑)

あ、やっぱり、「大学生編~旅のお話。」だけでもお読みいただければ嬉しいかも。抽象的だけれども、僕の留学理由はそこに集約されている気がします。

 

幼稚園・小学校編~Carpe diemな日々。

幼稚園時代は、「Carpe diem(今を楽しめ)」大実践の日々。
その点でのこの時期に対する憧れは今もあり、たまに思い返したりします。
 
「幼稚園を卒園する日なんて、ほんとに来るのかなあ?」と来たるべき未来に対して、いつも半信半疑でした。園児としての日々にいつか終わりがくるなんて、本気で信じられなかった。
結局卒園の時がきちゃったので、時は確かに流れ続けるということが分かりました。諸行無常だよなあ。
 
幼稚園・小学校時代は、家から半径1km以内で生活のほとんどは完結していました。週末イトーヨーカドーに行ったり隣町のおじさんの家に行ったりするのは、僕にとって大冒険。
狭い狭い世界だけれど、その狭さすら僕は知らなかったんです。
 
 

中学編~日本の広さにちょっとだけ触れる。

中1テニス部、中2バドミントン部、そして中3陸上部。
この頃から持ち前の飽きっぽさが全開になってきます。毎年ころころと部活を変えていました。
 
中学2年の時に、静岡県で開かれた日本ボーイスカウトの「日本ジャンボリー」というキャンプに参加。日本人を中心に、合計約2万人が参加する超大規模なキャンプです。
それまで青森からほぼ出たことのない――出たとしても家族旅行で、青森県外の人との交流経験のない――僕にとって、あらゆるものが新鮮でした。

関西弁を話す大阪の人との交流。朝食のパンでわらしべ長者を目指す少年たち。初めて目にする日本一の山・富士山。何より、初めてみる圧倒的な数の人々。なんだかもう訳も分からず、「日本って大きいんだ……!」という大発見。
 
とはいえ、これが今にどう活きているかはちょっと判別しかねます。
というのも映像での記憶がほとんどない。ただ自分が井の中にいる蛙だったんだなあ、とのわずかな気づきは「色んなものを見てみたい!」という好奇心へと変わったのかも。無意識のうちに活きているような。そんな気がします。
 
 
 

高校編~何かに熱中するということ。

陸上をずっとやっていました。
中学の頃はころころと部活を変えていたけど、高校は一貫して陸上競技部に所属。
飽きっぽい僕が、こんなにひとつのことを続けられた。自分で選んだ好きなことなら、続けられるらしい。自分でもびっくり。ハロー、ニューマイセルフ。
 
そしてその性格は、受験勉強でも現れた。
部活をやっている時には学内成績はお世辞にも良いとは言えなかった。が、引退してからは今の大学に受かりたい一心で毎日受験勉強をし続けた。スマホの学校に置いたままにして、iPhone5sの充電を17日間もたせるという偉業も成し遂げた。

何が僕をそんなに駆り立てたのだろう。
とにかく、青森から出たかった。地元が嫌というよりも、外の世界を知りたかった。
言葉でうまく説明できる動機は当時なかったが、行動がその熱量を証明していた。
 
そして僕は大学に合格した。
それは同時に、熱が冷める瞬間でもあった。
僕が次にやりたいことは一体何なのか。全く見当がつかなかった。
受かるということは、スタート地点に立ったに過ぎないんですよね。でも、ゴールは見えなかった。ここから僕は、目的意識をうまくつかめぬまま、さまよっていくことになります。
 

大学編~日常生活。

大学に入ってまず驚いたのは、僕の発音する言葉は訛っていた!ということ。
僕はそれまで、真面目に「標準語」を喋っているつもりでした。依然として僕は井の中の蛙だったのです(ちなみに3か月くらいで訛りは取れた)。Oh,no...
 
蛙の僕は、最初のうちは、地元を初めて離れて、何もかもが新鮮な生活に浮足立って。
でも、何事もだんだんと慣れてきちゃうんですよね。当たり前じゃなかったことも、いつの間にか当たり前のことになってしまう。
飽きっぽい性格がここでも出てきてしまう。困ったなあ。
 
朝は起きたり寝坊したり。授業に出席し、友達と遊び、サークルに行き、1日3食を食べ。そして寝る。1日の構造はこれで大体説明できる。

当たり前に楽しいし、物足りないことはない。不満はあまりないけれど、これで充足するのも何か違う。
 
今なら行きたければどこへでも行ける。
もやもやとした正体不明の違和感を抱えて、僕はつくばを出てあちこちを巡り歩くようになりました。

大学編~旅のお話。

「海外童貞を卒業したい!」
初めはその一心だけで、バックパックを背負って東南アジアへ2週間弱の旅に出ました。大学1年生の夏のことです。
そこで絶望的な孤独感に襲われます。「1人旅って、こんなに果てもなく寂しいものなのか。なんでみんなこんなこと楽しんでできるんだ。Mなのか」と思いながらも、僕は不思議とその後も何度も1人旅を繰り返すことになります。なんでだべ。
 
大学2年生の1年間は、より一層外の世界に出たいという欲が高まったものとなりました。12ヶ月のうち、5ヶ月以上は茨城の外のどこかでぷらぷら。
  • 富士山5合目でバイト
  • 茨城→京都ヒッチハイク
  • 「三重の古民家ゲストハウス 旅人宿 石垣屋」にて丁稚生活
  • 「札幌ゲストハウスwaya」にてヘルパー生活
  • タイ、マレーシアでふらふら
  • 萩から札幌へ、青春18きっぷによる日本海沿岸北上旅行
等々。
大学2年次の途中から「筑波大学すくそばのコワーキングプレイス Tsukuba Place Lab」のスタッフにもなり、旅とコミュニティについてまた考えるようになります。
 
 
そして感じた「旅」と「旅行」の違い。
初めて海外に出た時は、前者は帰る場所のないこと、後者を帰る場所のあるものと考えていました。
でも、違った。
旅は、帰る場所を増やすことだった。
親しみのある場所や人が増えていく過程が、旅だった。

色んな街を歩き、色んな人に出会うこと。そうして「世界って広いんだ」ということを客観的な事実ではなく、主観的な真実に昇華させること。
 
それはつまり、想像力を養うこと。
それが海外に住んでみることの、ある種1つの目的になっているように感じます。
 

おわりに

ね、長かったでしょ?(笑)
そんなこんなで、そういう人間です。
はじめまして。よろしくね。

「マイ・プライベート」なブログということで、次からは留学記を書いていきますよ〜。
では、Atā!